16世紀~17世紀のアジアの海!交易とヨーロッパの侵入 16世紀~17世紀のアジアの海!交易とヨーロッパの侵入

16世紀~17世紀のアジアの海!交易とヨーロッパの侵入

東南アジアへヨーロッパが進出
16世紀東アジア、東南アジア海域にヨーロッパ人が侵入

各ヨーロッパ諸国の東南アジア進出の様子
初期

ポルトガル
マラッカを占領→モルッカ諸島に進出→香辛料貿易の独占をはかる→反発される

ポルトガルに遅れて入ってくるのが

オランダ
16世紀末以降に東南アジアに進出→反ポルトガル勢力の協力→ポルトガル勢力の排除→バタヴィア(現・ジャカルタ)周辺を植民地化
・反ポルトガル勢力を利用して勢力を拡大

スペイン
1571年ルソン島にマニラを建設し植民地化


交易ブームにわく東・東南アジアと日本
石見銀山・・・最盛期には世界銀の三分の一を産出
日本の金や銀が外国との交易に使われた。

マカオ・・・1557年にポルトガルが居住権を獲得
→日本と貿易を活発に行う
ポルトガルは中国の生糸や鉄砲を貿易品に

日本は金や銀、奴隷が売られた。

豊臣秀吉・・・明の征服をねらって朝鮮に二度侵攻
・ポルトガルによって日本人が奴隷として海外に売れてる現状に、キリスト教の宣教師を追放する、伴天連追放令を出す。

徳川家康・・・朱印船貿易を奨励

※当初は外国と活発に貿易を行ったが、キリスト教の影響で徐々に縮小。

1635年日本人の海外渡航を禁止

ポルトガルやスペインの民衆をキリスト教化し、植民地にしてしまう陰謀に気づく

長崎の出島・・・ヨーロッパ諸国ではオランダに限って貿易を認めた

江戸時代の対外政策は

鎖国と呼ばれる。

東南アジアがヨーロッパの植民地にされる中、日本が植民地化されなかった理由
鉄砲を持っていた。戦国時代によって、軍事力が高かった。
16世紀~17世紀のアジアの海!交易とヨーロッパの侵入





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